#02地元高校の目の前で、古着屋をオープン。

OUR
HISTORY
#02
地元高校の目の前で、
古着屋をオープン。

地元高校の目の前で、古着屋をオープン。

地元高校の目の前で、
古着屋をオープン。

損害保険の事業を任せ、古着屋をオープンしたのがフラットヘッドの前身と言えます。オープンした高校は私服だったので洋服も必要だろうと10坪ほどのお店を構えて地元の学生を取り込み、更に彼らがバイクを乗り始めるような頃に損害保険を売るというようなことをしていました。銀行は保険でうまく行っているのだからと古着屋のための借入はさせてもらえず、そのためお店作りは友人たちや親戚などみんなに手伝ってもらいました。
開店当初は古着のダメージも大きく匂いも強かったので、店舗で売る前に修理と洗濯が必要でした。そのため300枚分の古着は友人たちに開店祝いと言いながら1ヶ月をかけて修理をし、その後先輩で布団の洗濯をやる人のところで夜中に洗濯機を借りて、乾燥して畳んでいました。洗濯をするときに消毒剤を入れたので、店頭に並べるときに「消毒済み」と入れられたのは、当時のお客様にとっては驚かれる要因だったようです。特に当時は主婦の方でも買ってもらえるような古着を置きたいと思っていたので、「新品に見えるのになんでこんなに安いのか」と驚かれました。
しばらくすると雑誌の取材も入り、注目されるようになりました。古着の修理は大変でしたが、それよりも大変だったのは古着を集めることでした。そこでアメリカに行くことに決めて、コネがあるわけでもないのにチケットを取りました。英語はまったくできなかったので、1週間に3フレーズずつ覚えました。アメリカに行って使うであろうフレーズを書き出して、知り合いに英文を添削してもらって、それを毎日トイレと風呂で覚えました。

一筋縄では行かない、アメリカでの買付。

一筋縄では行かない、
アメリカでの買付。

実際に行ってみるといろいろなトラブルがありました。メルローズに行ったら思ったより高くて、でも手ぶらで帰るわけにもいかないのでなにか持って帰れるものがないかと探し回りました。するとビンテージのZippo (ライター)がたくさんあったのでそれを買って、そこでジーンズがほしいと伝えたらお店を紹介してくれました。翌日紹介してくれた住所に行ってみたんですがお店ではなく民家で、騙された〜と思っていたら、ガレージに大量にジーンズがあって山積みになっていました。その人はローズボウルに出店している人で、いろいろ貴重な古着がたくさんあって安価に買付ができたのはとてもラッキーでした。
当時はロサンゼルスのトーランスという街に住んでいましたが、段々と日本とトーランスの行き来も面倒になってきた頃に現地で会社を設立してビザを取得しました。リサイクル業者の資格も取ったので税務面でもメリットがありました。また同時期にアメリカで買付などをしたい人が増えてきた時期でもあったので、当時の雑誌『Boon』や『asayan』に広告を出してアメリカで開業する手伝いをしていました。
その頃から、古着を買うのも結構なコストがかかるなと感じてきていたため、徐々に自分で自分が欲しい物を作ろうという気持ちが湧いてきました。当時の日本の縫製工場は量産は得意だけれどこだわりが弱いと感じることが多く、また資金的にも大量生産ができる体制ではなかったため、ものづくりをこだわりをもってやるという思いで始めました。僕が39歳の頃のことです。

NEXT HISTORY日本のものづくりの、再認識。